新五千円札の顔!津田梅子とはどんな人?その生涯と影響を受けた女たち。

気になること

2024年度に新しくなる五千円札に「津田梅子」が載ることが決定しましたね。
しかし、何かすごいことをしたからお札に載るのかもしれないけど、歴史に詳しくないから「津田梅子がお札に載る」と聞いてもあまりピンとこない…。

そうですよね。
歴史に詳しい方でなければ、なかなか「津田梅子ってこんなことをした」と詳しく説明出来ないですよね。
私も「…だれ?」と思いました。

この記事では、そんな新しい五千円札に載る「津田梅子」がどんな人なのか、何をした人なのか詳しくご説明しますね。
全部読み終わる頃には、新しい五千円札を手に取る日が待ち遠しくなりますよ。

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津田梅子ってどんな人?津田梅子が歩んだ人生。

津田梅子は、1864年12月3日に現在の東京都新宿区で生まれました。

梅子の父・津田仙は、西洋農学者で青山学院の創立にも関わり、現在の一万円札に載っている福沢諭吉と尺振八(せきしんぱち)の3人で通訳としてアメリカに派遣されたこともある方なのです。
その津田仙の次女として生まれたのが、津田梅子です。

津田仙は、「男性のように女性も教育を受けるべき」という考えを持っていた黒田清隆が企画した女子留学生に娘の梅子を応募させました。この時、女性初の留学生として5人選ばれましたが、津田梅子はその中でも最年少の満6歳だったのです。

これは今も昔も、「6歳の娘を単身で留学させる」ということはあまり考えられないですが、今より昔の方がもっと考えられない時代ですよね。

女性初のアメリカ留学

政府が様々な国との条約改正や西洋文明の調査で派遣していた「岩倉使節団」と一緒に、津田梅子はアメリカに留学しました。

梅子は幼かったにもかかわらず、「自分が何をすべきで、何かを得なければならない」という思いを持って勉強に励み、アメリカの初等・中等教育を受けました。
そして、留学してから11年後の1882年に日本に帰ってきました。

帰国してから

日本に帰ってきた津田梅子は、アメリカ生活が長かったこともあり、日本語での挨拶もままならなかったそうですが、多くのことを学んだ梅子はやる気に満ち溢れていました。

しかし、同じように留学してきた男性は政府が様々な重役のポストが準備されていたり、すぐに仕事を任されていたにもかかわらず、津田梅子を始めとする女性留学生にはいつまで経っても声はかけられませんでした。

津田梅子はそのような日本政府にとてもショックを受けたのと同時に、「私が日本女性の地位を上げるために、女性が教育を受けることが出来る学校を作る」という思いが生まれました。

再びアメリカ留学へ

学校を作ることを決めてから、津田梅子は再渡米して名門ブリンマー大学で生物学を専門に再び学び始めました。

共同開発でカエルの卵の発生について研究し、その内容がとても優秀だったので「大学に残って研究を続けてほしい」と言われていましたが、津田梅子は日本の女性の地位向上の使命があると思い、かたくなに断ったのです。

この強い思いがあったからこそ、今女性が活躍できていると言っても過言ではありませんよね。

女性のための学校設立

二度目のアメリカ留学から帰国する前に、津田梅子は今の日本の女性の置かれている状況などを公演して寄付金を集めて、学校設立に必要な資金を集めていきました。

そして、1900年女子英学塾(現在の津田塾大学)を創立することが出来ました。

創立するにあたり、最初のアメリカ留学で一緒に学んできた仲間や津田梅子の父・津田仙、アメリカで出来た仲間も協力してくれました。

津田梅子は女子英学塾の塾長となり、貧富関係なく女性も平等に教育を受けることを目指していき、梅子が学んできた英語を学ぶことで、国際的に活躍できる女性を育てることを目的として取り組んでいきました。

津田梅子の最期

女子英学塾を設立するために、身を削って頑張って取り組んでいた津田梅子。

人の何倍も動き、考え、行動をしてきていたので、体調を崩すことが多くなったのですが、塾長として女子英学塾の基礎が出来るまで先頭をきっていましたが、ある程度基礎も整ってきた1919年に塾長を辞任しました。

塾長を辞任してからは、体調を整えるために療養していましたが、1929年に脳出血のために死去。
64歳で津田梅子の人生は幕を閉じました。

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津田梅子の人生を知ると、なんだか新しい五千円札に載るというのにも納得できますよね。
そんな梅子が作った道を通じて、様々な女性が活躍しているので次の章でご紹介しますね。

津田梅子が作った道。影響を受けた女性たちも凄かった!?

前の章でもあったように、二度目のアメリカ留学で学校設立のための寄付金を集めたのですが、その金額はなんと8000ドルだったのです。

その寄付金で「日本婦人米国奨学金制度」も作り、津田梅子と同じようにアメリカで学べる機会を作りました。

松田道

梅子が作った奨学金を始めて利用して渡米した松田道は、津田梅子が卒業したブリンマー大学を卒業しました。

そして、帰国してから現在も京都にある女子中高一貫校の「同志社女子高等学校」の校長になりました。

河井道

松田道と同じように、梅子が卒業したブリンマー大学を卒業して、東京にある「恵泉女学園」を創立しました。

星野あい

津田梅子が作った女子英学塾を卒業。奨学金を利用して留学して、ブリンマー大学の理学部を卒業。

帰国してからは津田梅子が作った「女子英学塾」に勤めて、教頭、塾長となり、後に専門学校となった「津田塾大学」の初代学長となりました。

まとめ

津田梅子が作ってくれた道を通じて、日本だけではなく世界に羽ばたいていった女性たちは、まだまだたくさんいます。
これだけすごいことを成し遂げた津田梅子が、新しい五千円札に載るのが待ち遠しいですね。

 

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